虹色こまち編集部

千葉のおでかけ・観光メディア「虹色こまち」編集部の日々をつづります。

船橋の歴史探訪~船橋のルーツを辿る~

f:id:nijikoma:20181225172447j:plain


船橋と聞いて思いつくのは何ですか?」と不特定多数の人に問いかけると、「ふなっしー」と答える人が多いのではないでしょうか。ふなっしー船橋のPRなどに努め、誰もが知っているほど全国区となった事で、船橋市知名度がグンと上がったのは確かです。


その他にも、ららぽーと船橋競馬場三番瀬など千葉県民には広く知られているスポットも充実しています。
それもあってか、現在は人口約63万5千人(2018年8月現在)まで人口が増加。政令指定都市を除くと全国最多の人口となり、まだまだ発展途上の街となっています。
しかし、船橋の過去を知っている人は、果たしてどれくらいいるのでしょうか?
実は船橋は、江戸時代以前から、全国とのつながりがとても深い地域でありました。
今回は、その船橋を語る上で欠かせない建造物や隠れスポットをご紹介します。

 

船橋市の全体像を学べるスポット

f:id:nijikoma:20181225172637j:plain

船橋の歴史に関する書籍は数多くあります。しかし、本がかなり分厚く、難しく聞きなれない言葉も多いのです。

そんなあなたには、実は市内に船橋市の歴史を楽しく簡単に学べる施設があります。それが、船橋市郷土資料館です。

f:id:nijikoma:20181225172713j:plain

2018年4月にリニューアルオープンした建物で、薬園台公園の敷地内にあり外には蒸気機関車が展示されています。日曜日のみ、運転席の公開を行っています。

ここでは、縄文時代から現代までの船橋市の歴史を、広く知ることができます。

f:id:nijikoma:20181225172739j:plain

 

館内には、パネルでの紹介のほか、映像での紹介ブースや実験コーナもあり、子どもさんも飽きない展示内容になっています。

さらに近代の船橋を紐解くのに重要な「船橋と馬」「都市の発展」「鉄道網の発達」という3つのテーマに分けて楽しく理解を深める事が出来ます。

入場料は、なんと無料ですので、とてもお得なおススメスポットです。

船橋市郷土資料館

 

船橋市由来の地

f:id:nijikoma:20181225172821j:plain

船橋市内には、地名の由来となっている史跡があります。

京成本線大神宮下駅から船橋市街地方面に進みますと、海老川が流れています。そこに架かる橋に、船橋地名発祥の地となった文字板があり、詳細に記されています。

f:id:nijikoma:20181225172909j:plain


要約しますと、「この海老川に小舟を並べて橋代わりにして、江戸へ物資を届けていた」ということになります。

 

海老川には漫画家や文豪家のモニュメントがいっぱい?

f:id:nijikoma:20181225173008j:plain

丸山橋には、日本漫画家協会の協賛により、ボランティア船の銅像が設置されています。

f:id:nijikoma:20181225173049j:plain

記載された漫画家をよーく見てみますと、そうそうたる大御所の名前が刻まれています。

f:id:nijikoma:20181225173139j:plain


どこかで見覚えのあるキャラクター達が乗船していて、とたんに親しみを覚える事間違いなしです(笑)

他にも、いろいろな漫画家のキャラクター 達がいますので、立ち寄った際は、ぜひ探してみてください。

 

さらに九重橋には、文豪家″太宰治″の作品『走れメロス』の一節が書かれた銅板があります。

f:id:nijikoma:20181225173214j:plain


実は、太宰治はかつて船橋に住んでいたことがあり、そこで執筆活動をされていたのです。太宰好きな方は、太宰が好んで執筆した旅館や、アパートの軒先に植えた夾竹桃キョウチクトウ)の逸話などを巡るのも楽しいと思います。

海老川沿いには、13の橋があり、さまざまなコンセプトに基づくモニュメント像が数多くありますので、散歩しながら是非新たな発見をしてみて下さいね。

 

史跡紹介~船橋大神宮~

f:id:nijikoma:20181225173302j:plain

ここからは、船橋市を代表する建造物をご紹介します。
意外と知られていませんが、船橋大神宮は通称であり、正式名称は意富比神社(おおひじんじゃ)といいます。

その歴史は古く、西暦110年ごろ、12代景行天皇の時代から始まります。日本武尊ヤマトタケルノミコト)が、焼津(静岡県)・上総国(千葉県中部)などへ東征する際、東国平定の成就と日照りに苦しんでいた住民の為に祈雨を祈願したのが、この船橋大神宮のある地でした。

 

船橋大神宮、実は伊勢神宮(三重)とご縁があった?

f:id:nijikoma:20181225173349j:plain

船橋と三重にどんな関連が?と思われる方も多いと思います。

平安時代後期ごろには、荘園制度が流行し、免税の為にエリア一帯を伊勢神宮三重県)に寄進をしたことから、1138年(保延4)に、夏見御厨(なつみのみくりや)となりました。

こうして伊勢神宮管理の領地となった事から、その守護として伊勢神宮の祭神である天照大神を祀る日枝神社(現在の夏見台)が建立されました。

しかし、御厨(みくりや)は時代の流れとともに衰退し、日枝神社も意富比神社に合祀され、しだいに「意富比皇大神宮」と呼ばれるようになりました。これが、船橋大神宮とよばれるきっかけとなったのです。

f:id:nijikoma:20181225173420j:plain

 

その後も朝廷・将軍家などから崇敬を受け、神宮の境内にある常盤神社には徳川家康の歯を納めた家康木造が安置されています。また近代では明治天皇大正天皇昭和天皇などの歴代天皇も参拝に訪れている、大変由緒正しい神社なのです。

 

境内に灯台と土俵⁉

f:id:nijikoma:20181225173504j:plain

 


街中なのに灯台? と、にわかに信じられない方もいらっしゃるかもしれませんが、当時の海岸線は旧千葉街道国道14号線近くまであり、明治13年(1880)から明治28年(1895)に停止するまでの間、「政府公認の民設灯台」として、地元漁師の安全を守り続けてきました。

その様式は和洋折衷の作りで高さ12m、1階・2階は和風、3階の灯室が西洋式灯台のデザインを取り入れたモダンな六角形のつくりになっており、11キロ先まで灯が届いたそうです。

現存する灯明台を見上げながら明治浪漫に想いを馳せると、また違った風景が見えてくるかもしれません。

f:id:nijikoma:20181225173528j:plain

また参道横には土俵があり、毎年10月の例大祭では奉納相撲(通称けんか相撲)が開かれます。

由来は天正18(1590)年、徳川家康がタカ狩りに行く途中に船橋に泊まった際、地元の人々が家康をもてなそうと子どもに相撲を取らせたところ、家康が大変喜んだ事から伝統行事として続いており、江戸時代には行事が勝敗を差し違えるたびに応援者同士でケンカが起きるほど白熱していたことから「船橋のけんか相撲」の異名がつき、関東屈指の草相撲として名を馳せた大会です。

土俵は年間を通して設置されていますので、江戸時代の力士の息遣いを感じながら眺めると、とても神聖な気持ちになれます。

 

こうした数々の歴史を持つ船橋大神宮は、初詣から節句などで多くの人々で賑わい、崇敬を集め続けている貴重なスポットです。社務所では御朱印も集印できますので、是非いちど参詣されてはいかがでしょうか。

船橋大神宮(意富比神社)

 

 

いかがだったでしょうか?
船橋は、その時々の時代を先取りし、いつの時代も進化を続けながら良いものは伝統として守り・育て続ける、大変厚みのある場所であることがお分かり頂けたのではないかと思います。

そしてその土地柄は、現代でも着実に受け継がれ、近代化とうまく共存しながら発展を遂げ続けています。

今回ご紹介しきれなかった歴史スポットやグルメなどもたいへん充実していますので、お出かけの際は、そんな息吹を感じながら街をみると、船橋のイメージがガラリと変わるかもしれません。是非船橋の新たな一面を探しに船橋を訪れてみてくださいね。

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 千葉県情報へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログへ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 旅行ブログ 関東お出かけスポットへ
にほんブログ村


千葉県ランキング